カウンセリングに行くほどじゃない?

「誰かに話を聞いてほしい」

そう思う瞬間はあっても、それがすぐに「カウンセリングを受ける」という選択肢につながるとは限らない。

私自身、仕事上のスーパーバイザーに勧められて、はじめて
「ああ、私、こんなにも誰かに話したかったんだ」そう気づいた。
その気づきは、どこか「許可された」ような感覚に近かった。

「まだ頑張れるんじゃないか」

そんな声が、自分の中に小さく居座っていたのかもしれない。
いつも聞く側にいた私にとって、「話してもいい」と言われることは、思っていた以上に大きな出来事だったのだと思う。

福祉の現場で働いてきた私は、知らないうちに“困っている人”の基準をとても高く設定していた。
深い困難を抱える人たちの支援に関わる中で、自分の違和感やさみしさ、不全感のようなものはいつの間にか“たいしたことない”と分類されていった。あの頃の私は、知らないうちに人と比べて、自分のしんどさを小さく扱うのが癖になっていたのだと思う。

それに、私はずっと「支える側」でいようとしていたのかもしれない。
“話す側”“頼る側”になることは、どこかで自分の役割から外れてしまうような気がしていた。
でも、そのどちらの私もいたのだと思う。
「まだ頑張れる」と言い聞かせる私と、ひそかに誰かに触れてほしいと願っていた私と。
正直に言えば、そうやって自分の心を守っていたのだろう。

私の生活は、外から見れば安定していた。
仕事もこなし、人間関係でも大きな問題はなく、社会の中では“ちゃんとやっている人”だった。
それでも、心の底には名前のつかない違和感が静かに沈んでいた。
付きまとう体調不良も、“いつものこと”として受け入れていて、いつも疲れていた。

仕事に関する本は読めるのに、好きだった小説は開けなくなっていった。
「この人生はいったいいつまで続いていくんだろう」
そんな感覚が、薄曇りの空のようにずっとつき纏っていた。
今思えば、あれはきっとサインだった。
でも、そういう時には決まって何か新しいことを学ぼうと動いたり、楽しいことで発散して沈み切らないようにしてきた。
それも大切な心の動きではあったけれど、今思うとどこか浮き足立つように自分を保っていたところもあったのだと思う。(専門的に言えば、軽躁的に自分を保っていたのだと思う。)

今でも、友人から相談を受けることがある。
必要だと思うときにはカウンセリングを勧めることもあるけれど、そのたび耳にするのは決まって同じ言葉だ。

「私はまだそこまでじゃないから」

その気持ちはよくわかる。
限界を感じるような出来事がなければ、カウンセリングという選択肢は、どうしても“自分には早すぎる”ものに見えてしまう。
でも一方で、私は思う。

私はもっと早く受ければよかった、と。

セラピーを受けてみて初めて、“見えていない自分”がこんなにあるのかと驚いた。
その気づきが少しずつ連鎖して、視界がすっと開ける瞬間があった。
私が少し特殊なのかもしれないけれど、自分の知らない自分を知るとは面白くもあったのだ。

つまり、
「まだそこまでじゃない」気持ちもわかるし、
「早く出会っていれば楽だったかもしれない」という気持ちも、どちらも本当なのだと思う。

だからこそ、
“カウンセリングは特別な人が受けるもの”という位置づけがどうにももどかしい。

もちろん、無理に話す必要はない。
「受けなければいけない」ものでもない。
その人にとっての“必要な時期”というものも、きっとあるのだと思う。
ときには、そのタイミングが一生こない人だっているのかもしれない。
でも、もし、
ほんの一瞬でも「誰かに聞いてほしい」と胸がつぶやいたなら——
それは、心がそっと差し出したサインなのだと思う。

社会の中でうまくやれていることと、心が健やかでいることは、まったく別の話だ。

ふと、亡くなった父のことを思うことがある。
娘として聞けることと、娘だからこそ聞けなかったことが、たくさんあった。
父もきっとたくさん抱えてきた物語があって、「誰かに話してもよかったんじゃないかな」と思う。
もう確かめることはできないけれど、その思いは、私の中でずっと小さな灯りのように残っている。

カウンセリングは“悩みがはっきりしている人”だけのものではない。
名前のつかない違和感や、胸の奥で静かに鳴る気配こそ、自分と向き合う入口になることがある。

「カウンセリングに行くほどじゃない」
どこかでそう思っていた私がセラピーを始めたとき、押し込めてきた感情が少しずつ形を持ちはじめた。
言葉にならない想いは、セラピストがそっと受けとめて、一緒に見つめてくれた。

それは、人を頼ることが怖かった“小さな私”が長いあいだ抱えてきた声でもあったのだと思う。

その声を胸にしまい込んだまま、私は“強い私”として生き抜いてきた。

やがて気づいた。
こんなに大切に秘めてきた自分の人生を——
誰に話すのか。
どんな場所で話すのか。
それは、想像以上に大切なことなのだ、と。

次の回では、
私が「この人なら話せる」と感じられた
小さなきっかけについて書いてみようと思う。

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