父を看取ったときのことは、今でも私の中に強く残っている。最初の病気が見つかってから、トータルで13年間の闘病生活。3つの大きな病気を経て、そのすべてに私はキーパーソンとして関わってきた。
「これはさすがに、誰かに聞いてもらってもいいことだろう」そう思って、カウンセリングルームの扉を叩くときの“通行手形”として、その話を持っていった。それくらい、身体的にも精神的にも、本当に大変だった。
でも、「親だから」と、どこかで当たり前のこととして受け止めていたし、そうするしかないとも思っていた。だから、私の口から語られる大変さの多くは、私の心を翻弄した医療現場でのあれこれだった。
そんな話を聞いていたセラピストが、ふとこう尋ねた。「どうしてそんなに、ご両親から甘えられてるんでしょうね?」
そのひと言に、私は内心ぎょっとした。甘えられてる?——そんなふうに考えたことなんて、一度もなかった。
もちろん私は、自分の家族に何が起きていたのかという「時系列」は理解していた。むしろ、その事実を知ってもらいたいと思っていたからこそ、私はセラピストに父の看取りに関する時系列表を持参していたのだ。
こんなに何年も大変だった。私、大変だったって言っていいよね?
——そんな思いだったのだと思う。
怒りの矛先はすべて医療現場のあれこれに向かっていて、そこに疑問の余地はなかった。でも今思えば、それは「これは正当に怒ってもいいこと」と、私が“認定できた”出来事だったから。怒ることを自分に許すためのストーリーでもあったのだと思う。
原家族については、「いろいろあったけれど、衣食住に困らない普通の家庭だった」という認識だった。一度心理学を学んで自分の孤独感に気づいたとき、両親から「悪かったね」と言われて——
それで、もうわだかまりはない。そう固く信じていた。
……いえ、そうしなければならない、と思っていたのだと思う。それが、「甘えられている」という言葉でガラリと見え方が変わった。見ないようにしていたものが、見えてしまった——そんな瞬間でもあった。
それはとても腑に落ちる感覚だった。けれど同時に、不安も伴っていた。そうか、甘えられていたのか。そう言われれば、確かにそうだよな……。頭の中で何度も何度も、反芻していた。
——それはどうして?どうしてなんだろう?
そうして私は、「もう終わったはず」と思っていた原家族の歴史を、改めて語り直していくことになった。
ただ、そうして家族のことを話しながらも、私はどこかで「同じことを何度も話すのは良くない」という思い込みを持っていた。自分が人の話を聞くときには、何年も同じ話をされていたとしても、その人にとってはそれだけ辛く、苦しい気持ちで、そんなに簡単に納められるものではないよね、と理解していたはずなのに。
私自身のことになると、「もう話したんだから終わりにしなきゃ」「ぐるぐる同じ場所に留まっていては前に進めない」。そんなふうに、無意識に自分に言い聞かせてきていた。
面白い話だが、私は人には、自分がしてほしかっただろうことをしていて、自分自身には、その真逆のサディスティックな言い聞かせをしていたのだ。
自分のメタ認知はそんなに悪くないと思っていたのに、全く気づいていなかった。そしてカウンセリングの時間に、セラピストに向かって言葉にした瞬間に気づくという現象が何度も起こって、私は自分自身にうんざりすることもあった。
そんな特徴を持っていた私は——だからこそ、なのかもしれないが——
もう一つの“通行手形”として、前職での人間関係や職場での苦しさをテーマに持ち込んだ。
今回は、人間関係の図解と年表付きで、セラピストに話をした。全体像を理解してもらって、「どういう関係性だったから、どういうことが起こったのか」を知ってほしかった。何より、誤解されたくなかったのだと思う。
自分がどう振る舞って、何に傷ついていたのか。「これはさすがにおかしいでしょう」と言いたくなるような出来事を話していた。
でも、話しているうちに、だんだんと見えてきたのは、原家族との関係の反復だった。
いつも頼られてしまう。期待に応えられないと苦しくなる。自分よりも周囲を優先してしまう。
自分の辛さを話すとなぜか聞いてもらえない。
——あれ?この「理解されなさ」や、「全てを押し付けられて問題と向き合ってもらえない感覚」、「役に立っているときには評価され、自分の辛い気持ちは見向きもされない」って……。これって、家族と私の関係と似ているかもしれない。
そう思ったとき、私は職場での自分を通して、もう一度原家族のことを見つめ直すことになった。無意識に避けて、終わらせたはずのテーマに、また戻ってきてしまった。
でもそのことに気づきつつも、当初は「だってこれは職場が、医療機関がおかしかったから怒ってもいいことなんだ」と、
半ば逆ギレしつつ、「いや、やっぱり家族について見つめなおさないといけないのかもしれない」と揺れていた。
良い子のまま、親孝行の娘のままでいたい私が、深く葛藤していたのだ。
こんなふうに、私はカウンセリングの中でいくつものテーマを行き来しながら、結果として何度も、原家族のことに立ち返ることになった。そして気づいた。話すということは、ただ“整理する”ためだけではないのだと。
言葉にしてみて初めて、自分がどう感じていたのかが浮かび上がってくる。他者に向かって語ったとき、自分の言葉のどこかに、まだ整理のついていない感情が見つかる。誰かと一緒にその感情を見つめていくことで、ようやく「気づき」が育っていく。それは、頭で考えるのとは、まったく違うプロセスだった。
たとえ一度話したことでも、同じテーマでも、その時々の自分の視点や感情によって、語り直すことで見えてくるものがある。むしろ「繰り返し話すこと」が、気づきのための大切な入口になることもあるのだと思う。
もちろん最初は、「こんなこと話していいのかな」「もういい加減にした方がいいんじゃないか」と葛藤していた。実際に、「こないだも話したことなんだけど」「何度も同じ話しですみません」と枕詞をつけて話してばかりだった。
でもそのたびに、カウンセラーに受け止められ、共に考えてもらう中で、
“自分にも、自分の物語を語る権利がある”と、少しずつ感じられるようになっていった。
そして、それは氷が解けて解放されるような感覚と、これまでとは違う見え方がする世界と向き合う不安とを同時に感じさせるものでもあった。
原家族との関係は、今も決してすっかり“解決”したわけではない。でも今は、幻想の中で傷つかないように先回りしていた頃とは違って、現実をそのまま見つめながら、自分を偽らずにいられるようになっている。それは苦しいことも多いけれど、自分を大切にするための、必要な痛みなのだと思う。
もし今、「こんなこと話してもいいのかな」と迷っている方がいたら、その迷いごと、どうか言葉にしてみてください。きっと、あなたの中にもまだ語られていない、大切な物語があるはずです。
そして、もしあなたが、その物語を語ることで見えてくる新しい景色に、不安を感じているのなら——
その不安を、急いで解消しようとしなくても大丈夫。何事も、自分のなかになじむには時間がかかるもの。その戸惑いや揺らぎもまた、時間をかけてあなた自身の物語の一部になっていくのだと思うから。

