「カウンセラーのカウンセリング体験記」

カウンセリングに行こうと思ったきっかけを聞かれると、いつも少し戸惑う。

正直に言えば、「行こう」と思って行ったというより、「ああ、そうか。私、誰かに聞いてほしかったんだ」って、言葉になる前の気持ちに、やっと気づけた…そんな感覚だった。

もう40代になっていた。

私は26歳のとき、心理学を学ぶために大学に入り直した。
臨床心理士を目指す一種指定校だったけれど、学びながら気づいてしまった。
「誰かをカウンセリングする前に、私は私の中に問題がある」と。
だから大学院には進まず、カウンセラーではなく、ソーシャルワーカーの道を選んだ。

当時の私は、カウンセリングを“する側”として学んでいたのに、“される側になる”という発想はどこにもなかった。
それは今思うと、少し不思議で、少し切ないことだ。

「あの頃カウンセリングを受けていれば、違った人生があったんじゃないか」
そう思うことは、カウンセリングを受け始めてから何度もあった。

ソーシャルワーカーの資格を取った私は、当初はMSW(メディカルソーシャルワーカー)を目指していた。
でも気づけば、精神障害のある方の相談支援の現場にいた。

仕事は、決して順風満帆ではなかった。
成長途中の法人のなかで、納得いかないことも多く、自分で学び続けるしかなかった。

そんな中で出会ったスーパーバイザーは、精神分析や家族療法を専門とする臨床心理士だった。
カウンセリングとソーシャルワークを併せて提供するスタイルを、私は少しずつ自分の中に築いていって、

現任者として公認心理師を取得した。

そして、その時の仕事をやめたとき、心が、自分でも驚くほどぐちゃぐちゃだった。

父を看取ったあとの空白。仕事への不満。言葉にできないまま重なっていた思い。
すべてが絡まり合っていた。

そんな時、スーパーバイザーの心理士が、ぽつりと言った。
「一度、セラピーを受けてみたら?」
「精神分析を学ぶ人は、自分のセラピーを受けたりするのよ」

その一言が、私の中の何かをそっと揺らした。
気づけば、涙が出そうになっていた。

……そうか。
私、誰かに話を聞いてほしかったんだ。

紹介してもらったセラピストに連絡をとるのは、正直、少し勇気がいった。
最初に紹介された方とは、半年以上待ったあげくやりとりがうまくいかず、お断りすることに。
とてもモヤモヤする経験だった。

その後もう一度、複数人を紹介してもらった中から、今度は「自分で選ぼう」と思った。
「臨床心理士」という媒体に投稿されていた文章から、多角的な視点を持ったセラピストだと感じたその方に、私はお願いすることにした。

男性のセラピストというのは私の中では想定外だったけれど、不安と期待が入り混じる気持ちで、初回の日を迎えた。

「自分のことを話すのって、こんなに緊張するんだ」
ずっと“聞く側”にいた私は、初めてそのことを体感した。

セラピストの部屋の静けさを、今でもよく覚えている。

話しながら涙が出てきてしまうのに、いつものように笑顔を崩せずにいた私は、泣きながら、笑って、しゃべり続けていた。

「どうして笑っているの?」

その一言が、まっすぐに心に刺さった。

恥ずかしかった。けれど——
「ここでは、笑わなくてもいいんだ」って、心のどこかがそっと受けとっていた。

それから、6回ほどのアセスメント面談を経て、精神分析的心理療法が良いだろうという見立てで、カウチを使った週1回のセラピーが始まった。

初日の夜は、何年も安定していた睡眠が乱れた。
閉じ込めていた心の蓋が開く予兆だったのかもしれない。

カウンセリングの時間には、誰にも聞かれてこなかった想いが、言葉になってあふれてきた。

でも、ちゃんと伝わっているか不安だったし、誤解されたくなかった。
カウチではセラピストの顔が見えない分、声のトーンだけが頼りだった。

時系列の年表を書いて行ったこともあるし、人間関係の図も持参した。
その行為自体が、私を表していたのだと、あとで気づいた。

私は、論理的に説明するのは得意。
でも、自分の気持ちを口にすることは、本当に難しかった。

情景の説明や考察を滔々と語りながら、涙が止まらなくなった日もあった。
カウチだったから、顔を見られずに、泣きたい放題だった。

「ここでは、私のことを話していい」
「泣いていい」
初めて、そう思える場所だった。

セラピストは、なにも変わらず、ただ私の言葉を待っていてくれる存在だった。

私は、カウンセリングというものを、まったくわかっていなかったんだなと思う。
そして、どうしてもっと早く受けなかったんだろう、とも。

今でも、カウンセリングの帰り道にふと、そう思うときがある。
でも、そのたびに思い直す。

あのとき話せなかった自分にも、意味があったんだ。
今こうして話せるようになったのは、時間がかかったからこその深さなんだ、と。

カウンセリングを受けようか迷っている誰かが、この文章を読んでくれているのなら——

無理に決めなくていい。

でも、あなたが「誰かに聞いてほしい」と願ったとき、その想いは、きっと受けとめられる場所がある。

カウンセリングを学んで、仕事にしてきた私ですら、「受ける」ことをちゃんと理解できたのは、ずっとあとになってからでした。
でも、遅いということは、きっとないのだと思います。

心の蓋は、少しずつ開いていい。
あなたのペースで大丈夫。

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